

焼酎文化の部屋
大口市・郡山八幡神社の棟木札
焼酎という言葉が文字として残る日本最古の物として有名なものが郡山八幡神社の棟木札です。
神社の屋根を受ける部分にあたるこの棟木は、板のように見えますが実は丸太を受けるように湾曲しています。たて30Cm 位のそんなに大きなものではありません。
ホームページなどで調べると、大口市の焼酎資料館にあるようなことが書いてありますが、この資料館廃墟になっていました。
大口市観光課によれば市の運営するホームページにはその旨が書いてあるそうです。
では今はどこにあるのか(もっとも現物は改築中の八幡神社の棟木として使用されているのでこれはレプリカですが)?
その答えは「大口酒造協業組合」に保管されています。
棟木札のレプリカ
それではそこに書かれている内容を見てみましょう。
永禄二歳八月十一日 作次郎
鶴田助太郎
其時座主ハ大キナこすでをちゃりて
一度も焼酎を 不破下候
何共めいわくな事哉
これを意訳すれば、永禄二歳とは1559年、戦国時代ということになる。
この神社の改築にあたり座主(施主となるお坊さん)は大変なけちで(大キナ=たいそうな、こすで=けちで=こすいなどと同義語か、をちゃりて=おじゃりて=そうであっての公家言葉)焼酎を一度も振舞ってくれなかった。
何とも仕様のないことだと愚痴っている。
この棟木札に関する館長私考
16世紀のこの地方で飲まれていた焼酎は米焼酎だと思われる。
大口市・菱刈町辺りは「伊佐」地方と呼ばれ、米の産地であり鹿児島県とはいえ芋は近世になってからと思われる。芋の渡来を考えても)
ということはこの地方で造られたのかはたまた隣の人吉で作られた物を飲んでいたのかは不明であるが、ともかく米焼酎であったらしい。
棟木札の時代考証はどうやら永禄二年に書かれたということが信用できそうだ。
その根拠として、「をちゃりて」という公家言葉がこの頃使われていたらしいという研究と、この文章自体が落書きとして後から作られたとは考えにくいことがあげられる。
疑問があるとすれば鶴田という苗字が書かれていることだろう。
苗字が許されるということは棟梁もしくは平民でも身分が高いほうの人物だろう。そんな人物が落書きを書いたのかという疑問は残る。
話は飛ぶが酵母として知られている「イサ米酵母」はこの地方の米から来ているのだろう。
またこの地方の焼酎蔵元が「黒伊佐錦」とか「伊佐美」と命名しているのもここから来ているのだろう。
こんな米どころで芋焼酎が造られているのはなぜなのだろうか。
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